舞鶴マンホール
舞鶴市の下水道は昭和44年からSTARTし海や山など、この街の豊かな自然と東西に広がる人々の生活を守ってきました。
そんなこの街のマンホールも50歳を迎え、50年を記念して『50周年記念マンホール蓋』が作成されました。
「赤れんが倉庫」「田辺城跡」をモチーフにしたマンホールが設置されました。赤れんが倉庫は、東舞鶴を中心に。。。田辺城跡は、西舞鶴を中心に。。。
みなさんもぜひマンホールを探して見て下さい。
赤れんが倉庫マンホール設置場所
- 北吸トンネル〠625-0036 舞鶴市字浜682
- しおじプラザ〠625-0036舞鶴市字浜潮路通
- 海上自衛隊舞鶴造修補給所工作部〠625-0036舞鶴市字浜2016(舞鶴警察署東庁舎の通り)
- 大門三条通り〠625-0036舞鶴市字浜624(舞鶴実業会・餃子もつ鍋ドラウマ前)
赤れんがのマンホールの蓋は、舞鶴市の東市街地に位置する『舞鶴赤れんがパーク』の赤れんが倉庫をデザインにし、令和元年に設置されました。明治34年の舞鶴鎮守府開庁に合わせ軍港付近の海辺には沢山の赤れんが建造物が造られました。倉庫群を中心とする当時のデザインがそのまま残る建造物の数々はどこか懐かしくロマンティックな雰囲気を作り出しています。
田辺城跡マンホール設置場所
5. 田辺城前 〠624-0853舞鶴市字南田辺15-22
6.桂林寺前〠624-0936舞鶴市字紺屋69
7.平野屋通り〠624-0926舞鶴市字本56(漁師小屋前)
8.舞鶴西港第3埠頭〠624-0937舞鶴市字西
田辺城跡のマンホールの蓋は、舞鶴市の西市街地に位置する平成4年に再建された『田辺城』の城門を中央にデザインし、令和元年に設置されました。織田信長や豊臣秀吉などに仕えた細川幽斎が隠居城として築いた田辺城は別名『舞鶴城(ぶかくじょう)』と呼ばれ「舞鶴」という地名の由来になりました。「関ヶ原の合戦」の前哨戦石田三成方の西軍15000人の軍勢が田辺城を包囲し、これをわずか500人の軍勢で迎え撃った「田辺籠城戦」が有名です。
ちなみに
こちらのマンホールは、1988年に設置された舞鶴市の中央に位置する標高301mの高さを誇る「五老ヶ岳」から眺めた景色をデザインしたマンホールの蓋。デザインの中央には「舞鶴湾」と長年、舞鶴市と北海道を結んできた定期船「すずらん丸」下には咲き誇る舞鶴市の花「ツツジ」上には京都府の鳥「オオミズナギドリ」が優雅に空を飛ぶ姿が描かれているそうです。
にありました。マンホール一つ一つにきちんと意味があるんですね〜
2020年3月頃に舞鶴市下水道PRプロジェクトチームが、舞鶴縦断!?GO!GO!!マンホールの聖地を巡れ!!というイベントを行い当選者にマンホールコースター&タオルをプレゼント企画をされました。当選!!↓↓↓↓↓可愛いですね。
舞鶴のマンホールたちでした(*´∀`*)
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